こころ

みんな、「わたし」ってどこにあると思う?

脳?心臓?それとも、お寿司とかかな(寿司が食べたい)。

「こころ」で検索をかけると、ハートや心臓の位置でそれを表したイラストがたくさん出てくる。バンドリの心ちゃんのイラストもめっちゃ出てくる。

 

でも、私は「こころ」っていうのは結局脳にあると思うわけ。

脳が認知できなかったら感情も生まれないから。

心臓が動いていても、脳が止まっていたら、「わたし」もいないと思うから。

 

歳を重ねるにつれて身体が壊れていくのは仕方ないけど、こころが終わるのは嫌だなあと思う。

 

昨年の今日、母がくも膜下出血で倒れた。

床にのたうち回り、吐瀉物を吐き散らかす母を見て、

「あ、これもう駄目だ」

と最低な事を思った事を覚えている。

しかし、そんな大変失礼な事を思っておいてなんだが、母は奇跡的に一命を取り留めた。

最低なわたしは、

え、あの感じでも人の命ってなんとか繋がるんですか?医療って凄いな・・・。と、最低なことを思った。

ドラマの出来事じゃないんだからさ。素直に喜べばいいのに。

でもそのぐらい、私にとってはショッキングな映像だったんだと思う。それこそ、ドラマの出来事だと思いたくなるような。

 

母が一命を取り留めたところで、相変わらず意識はないままだった。

少しずつ回復していく可能性はあるが、どこまで回復するかはわからないと言われた。

勿論、一切回復しない可能性もある。

わたしはこの時、「ああ、やっぱり『母』は死んでしまったんだ」と思った。

どれだけ酸素を吸い込み、二酸化炭素を排出していても

思考も感情も持っていなかったら、それはただの地球温暖化促進マシーンだ。

「きっと、良くなるよ、信じて待とう。」

父の言葉を素直に受け取れない捻くれた私が、心の中で葬儀を始めようとしたから必死になって止めた。

 

 

不思議な事に、自分が思っていた以上にするすると『母のいない日常』へと移り変わってゆくことができた。

母の手術が落ち着いた翌日には家の備品をリスト化したし、家電製品のお手入れもマスターした。この時にやっと、乾燥機のフィルターは毎回掃除しなければならない事を知った。そんなんやってらんねーしと思いながら普通の洗濯をして干したらタオルがバキバキになって、そのほとんどを雑巾に降格しそうになった。

母の事を想って夜中に一人で涙を流すような事もなく、「自分はなんて薄情な人間なんだろう」と静かに悲しくなったのを覚えている。

 

ともあれ。

驚くことに、母は持ち前のしぶとさで少しずつながらも回復に向かっていた。

まずは、目が開いた。次に、少しだけれど手が動くようになった。たまに車椅子にも乗せて貰うようになって、麻痺した身体の中でも動かせる部分を動かせるようになりつつある。

それでも私の中で母が「生きている」という実感はなかった。

理由としては、母からの意思が返ってこなかったからだ。

話しかけても、それに対して何かコメントをする訳ではないし、頷いてくれるわけでもない。

わたしたちの言葉を理解しているのか、「感情」と呼ばれるものがあるのか、それもわからない。

ほとんど面会も許されない私にとってはなおさら、母はいなくなってしまった存在のままだった。

 

 

ところがどっこい。

先日。本当に先日の事。

リハビリが順調に進み、看護師さんの手を借りながらであれば、字をかけるようになったという。

そこで父が尋ねた。

「私の名前、わかりますか?」

驚いたことに、母は、しっかりと父の名前を書いたそうだ。

「あなたの娘の名前は?」

わたしと、妹の名前もしっかり書いたらしい。

わかってるじゃん。

見てるじゃん。聞こえてるじゃん。理解してるじゃん。

私の中で、突然母が生き返った。

それと同時に、なんとも言えない気持ちが襲ってくる。

 

 

母が生きる事を直接的に選んだのは私だった。

倒れた後の数日間、何度か手術を行ったものの、母は容態悪化を繰り返し、もう助かる可能性はほとんどないと医者に告げられた。

 

そして、それでも次の手術をしますか、と私たちに選択権が委ねられた。

 

そんなもの、委ねられても困る。

 

ひとつひとつが何百万のお金が動く手術だし、奇跡的に生きながらえたとして、全身麻痺でほとんど植物状態で生きる事になるなら不幸だと考える人もいるだろう。

でも、だからって、黙って見ていろって?

 

そんな様々な考えが駆け巡ったのか、父も妹も一言も発せずに泣いていた。

唯一涙を流していなかった私が言ったのだ。

手術をしてください、と。

こうして、私がその選択権を全面的に引き受けた。とんでもない重圧だった。

手術決行を決めたのは完全に私のエゴだった。

「あのとき手術をしていたら、お母ちゃんは生きてたのかな」と父が呟く未来が見えたし、それが嫌だったから。

その時点で「もう駄目だ」モードだった私にとっては、残された家族がより後悔なく生きてゆける道を選ぶのが一番必要だと感じたのだ。

この時点で私は諦めていたのだから、本当に最低だ。

 

 

 

こういった経緯があったからこそ、今静かに回復に向かう母を見て、私は責任を感じている。

家族の名前を覚えていてかけるなんて、私たちが予想していたよりも意識があるようだ。色々、考えられるってことだ。

なのに、それを表す方法がほとんどないし、身体は動かないし。

 

生きててよかったって、思えているだろうか。

死んだ方がマシだと思っていたらどうしよう。自分だったら後者のような気がするから、なおさら胃が痛い。

 

 

 

 

こころは脳にあると思うが、私は自分のこころがわからない。

なんで涙が出ないのか。どうして、素直に「きっと大丈夫」と思えないのか。

 

何も感じていないわけじゃない、と思う。

ICUに居る意識のない母に会った時、ピー、ピー、と無機質に連続する母の心臓の音を聞きながら目眩と酸欠で立っていられなくなり、その場をすぐに後にした。

心は平気なつもりでも、身体はSOSを出しているのだと思った。

 

泣いてる父と妹を見て、「わたしが頑張らなきゃ」って思ったのだろうか。

期待して、裏切られたくないから、最初から諦めた"ふり"をするのだろうか。

どちらも合っている気がするし、どちらもはずれている気もする。

 

 

私の脳は正常に機能しているのに、私は自分のこころがわからないのだから、やっぱりこころは脳にあるわけでもないのかもしれない。

 

それじゃあこころはどこにあるの。

あの日からちょうど一年が経った今、「こころ」について考える。

こころはどこにありますか。

思いっきり泣いたら、わかるのかな。