(2025冬に書いた下書きをひっぱりだしてきました)
はじめて、冠婚葬祭の葬(身近な人)を経験したので素直な感想を一応記録してみる。
なお、私は本当に倫理観が欠けた世間知らずの人間なので、偶然このブログを目にしてしまった正しく生きている皆さまは読まないで下さい。
祖父が他界した。
御年90超の太長人生だが、それでも急逝とされているようだ。
幸せなことに喪服を持ってすらいなかったので、金欠社会人四年目は通夜当日に田舎のしまむらで仕入れた。
最初調べたときは、あまりの服装ルールの多さに顔をしかめたものの
真っ黒な装いに身を包み、髪をお団子に結わえる自分は、なんだか無駄がないというか。
普段、この服が可愛い この髪型が可愛いとあれこれ組み合わせた結果、理想とのギャップに打ちのめされ嫌になってしまう そんな感覚がかなり多い。対して、喪服は美のお手本が礼儀だから、ルールが決められてるのも悪くないなーと思ったのでした。
まずは祖父母の家に行き、祖父の顔を見る。
「寝てるみたいでしょ?」とテンプレなことを言われたが、余裕で亡くなっていた。寝てるようには絶対見えないな。
お決まりのセリフなのか、「可哀想やろ?」と何度も語りかけられる。90超えで家族に看取られた祖父がそんなに可哀想なのか、いまいちピンと来なかった。それに、本人の前で言うことか?と思ったので大体無視を決め込んだ。
特に他やることもないので舐めるように見ておき、お通夜へ。お通夜の記憶はあまりない。集まりまくった遠い親戚に挨拶して、挨拶して、挨拶してまいりますをした。
相手が誰かわからないがとりあえず遠い親戚であることだけわかってるので、それっぽくこなすことに専念。だって、挨拶はしたいけど、話すことは大してないもんね?みんな、これを乗り越えて本当にすごい。人の「話すことないです」と言わんばかりの困った顔と、逸らされる視線が、本当に苦手だ。
色々勉強になったのは次の日の葬儀、火葬以降。
何回やんねんという焼香を経て、火葬に入るタイミングで皆さんが大声で祖父に語りかけながら泣き始める。
読経の時皆あんなに眠そうだったのに・・
とその時はひとりごちたものだが、火葬に入るタイミングでこれはなるほどと思わされた。
皆さんご存知なんだろうと思うが、センターオブジアースで乗るようなエレベーターに最後はしまわれ、扉はあっけなく閉じ、次に出てくる時は灰と骨だ。
自分としては、この儀式は祖父の死に顔をみたときよりも遥かに衝撃的だった。
だって遺骨ってもう袋に入った状態でもらうものだと思ってたから。
※本当になにも知らなくてごめんなチャイナ
さっきなで回した身体が、なんとなくそのままの形を保ちつつ、灰と骨になってジャジャーンと登場するなぞ・・私のような世間知らずは思わないわけです。(これは地方により登場形態が違うぽいのかな)
なので、そりゃあ最後の瞬間は取り乱すわなと思った。
学び。
火葬、あのエレベーターに乗っていくのやだなあ。一人でジェットコースター上ってる感じ。人間、いくらみんなで見送っても本当のさいごは一人だね。そこに心があれば
火葬前に叔母が何度も「お父さん、ごめんなぁ、ごめんなぁ」と泣きながら呼び掛けていたのも印象的。元ヤンだからね。それでも、さいごに声をかけられるなら娘に謝られたいものかしら。そんなことも考えさせられる。
とはいえ、私は目の前の祖父のからだに祖父の魂を感じることも難しかったので、個人的にはこういう儀式は遺される側のためにやるものだと解釈しており、エゴエゴな言葉をかけて問題ないと思う。
収骨室の天井デザインも印象的だった。
これは葬儀場によって全然違うと思うが、大きなテントのような天井をしていて
なんとなくここは特別な境界線の場所なんだなーと直感的に思えた。
まあそんなところですかな。
葬儀ってやること多いし全部必要なのか?と思うものもあるけど、わざと手間ひまかけて弔いながら遺される側の気持ちを整理させるものだよね。と前々から思っていたけど、改めて。
学びとしては、思ったよりも深く土に還るところまで見届けるのだというところ
ねむい
おやすみ

