一人ぼっちの夜について

くも膜下出血で母が倒れ、もうすぐ3年になる。

一時は覚悟したものの一命を取り留めた母。

その母がとうとう我が家に一時帰宅(といっても一週間程度のもの)を果たした。

せっかくなので気付いたことについて記録しておこうと思う。

 

 

気付いたこと、一つ目

『わかりやすいお笑いでよく笑う』

お笑いが好きでよく笑うよ~という話は施設のひとから聞いていたが、色々みせたところなんでもいいわけじゃなさそうだ。

オーバーリアクションのものや、アクシデント系のバラエティなどわかりやすいお笑いでよく笑う。

比較的ウケがよかったのは相席食堂。しかしこれは「ちょっとまてぃ」ボタンで笑っているような気がした。

一番ウケていたのは有吉の壁。あれは短時間で有吉を笑わせることが主なミッションのため、インパクトのある小ネタの集まりになっている。わかりやすくて、ウケていた。

意外にウケたのがヨネダ2000。なぜかというと、インパクトがあるから。

ちなみにわたしが趣味で作っているVlog(未公開)を見せたら、友人たちがスノボやアスレチックですっころんでいるところで爆笑していたので、こういうのでもウケる。どっきりグランプリとかもウケるかもしれない。

 

 

気付いたことその2

『たぶん昼夜逆転している』

昼も起きている、が、夕方~21時頃に眠り、0時過ぎごろにまたおきる。

昼間はやや眠そうで、お昼寝をよくしている。

0時頃に起きてからは、しばらく起きている。

3時過ぎまで粘ったがわたしに限界がきて寝たから就寝時間は不明。

昼夜逆転していると確信したのには根拠がある。

それが次の気付き。

 

 

気付いたことその3

『夜に秘密の特訓をしている』

0時過ぎに母が起きてることにふと気付き、寄っていくと、枕元のぬいぐるみに手をのばしていることに気づいた。

母は全身に力が入りっぱなしで、ほとんど全身麻痺のような状態。

話すことも出来ず、左手は比較的動くが右手はかなり動かない。

 

その動かない右手を必死に伸ばし、ぬいぐるみに手を届かせようとしていた。

ああ届かない、となると少し目をつむる。

そして数秒後、ふぅっと息を吐きながら手を伸ばす。

勢いをつけて、少しでも遠くに動かそうとしているのだ。

 

昼間にはこんな姿は見られなかった。

だから、母にとってこの深夜の時間は「自分の出来ないことを認識してもがいてる時間」=一番覚醒している時間ということ。

ゆえに、昼夜逆転をしているのではないかと考えたわけだ。

 

深夜に目を覚まし、周りに人はおらず、ただ自分のできないことの自覚が襲ってくる時間とは、どれだけ恐ろしいものなのだろう。

その時間に気付くことができた嬉しさと同時に、勝手に想像した母の孤独感が伝染し胸がいっぱいになった。

ほんとうの気持ちは、わからないんだけどね。

 

 

この一時帰宅の間は母にとって嬉しい思い出の連続であったに違いないと思う。

家族と直接会える、友人が次々に会いに来てくれる、外の空気を吸うことができる。

その時間が眩しければ眩しいほど、母の秘密の特訓の時間が、私には孤独に思えてならない。

 

「寝るから電気消すよ、大丈夫?」

わたしの問いかけに、こくん、と頷かれ電気を消したのはさっきの出来事。

今これを書いている間も、母は下で秘密の特訓をしているのかな。

 

明日、母は施設に戻る。

 

さようならの準備

 

就職で東京のあたりに行くことが決まった。

就職活動はかなり手広い業種を見てやっていたと思うが、故に地域で絞るしかなく、地元である愛知県の企業を受けていた。

ある日、ひょんな出来事から「一個ぐらい東京受けてみるか~」と思って適当に応募したところ。

まさかのそこに入社することに。

 

どの企業に対してもそうだけれど、応募するときはあまり何も考えずに応募していたため、内定を頂くにつれて面接中企業と比較していく形式を取っていた。比較検討の結果、メチャクチャ良い企業がそこだったのである。

まあ、就職活動についてはまた別で記事書いてみたいなと思ったり。

 

 

 

ともあれ。自分の中で東京に行く選択肢なんか全然思い描いていなくて、駄々こねる父親を諫めつつ、不安な気持ちを握りしめて内定の承諾をした。

これもこれでご縁ってやつだ。キショい場所だったら辞めればいいし、気に入ればそこに落ち着けば良い。

私はきっと将来、友達が開いた喫茶店で、夜にビアバーをやっていると思うからね。

 

愛知という場所を、自宅という場所を離れるにあたって、さよならの準備をしなければならない。

部屋にある大量の年期入りのゴミを断捨離することもそうだし、友達に借りっぱなしのCD(もしかしたら、もらったのかもしれない)も返したい。あのこが置いていった折り畳み傘も返しに行ってあげよう。

それ以上にやらなければいけないのは、思い出たちとのさよならの準備だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

大好きな喫茶店。自転車で昔何度も行った喫茶店に行った。庭が森のような、素敵な喫茶店で、フルーツサンドのモーニングをいつも一人で食べて本を読んでいた。喫茶店の帰り道には橋があって、その下を真っ赤な電車が通る。その様子をぼーっと眺めていた、あの頃の自分にさよならの準備をした。

 

 

 

車ですこし足を伸ばして、すこし大きいスーパー銭湯へ。今時人気の、漫画がたくさん置いてあるようなところではないけれど、岩盤浴もあって、なにより豊富な種類の露天風呂が大好きだ。高校生の頃、数学の授業がない日を狙って学校をサボっていた。うちの母はその辺り優しかったため、特に咎める事はなかった。その代わり、布団に潜り続ける私を引きずり出し、この銭湯に連れていってくれた。母と他愛ない話をしながらぐでぐでになるまで大きな風呂に入ると、忙しい毎日に疲弊していた心がじんわりと溶けていく。さっぱりとした心でうどんを啜り、次の日にはまた元気に学校へ行く自分とそれを見守る母に、さよならの準備をした。

 

 

家の前の川の、土手にある階段も訪れた。両親と喧嘩をした時や、病んでいた時はいつもそこで座って星空を見上げていた。そこでうずくまったってどうにかなるわけでもない、それでもオリオン座を見つめながらただただそこにいた。最近はもう行くことはないな。親と喧嘩をして家にいたくない、なんてことがなくなったから。悪く言えば、反論をすることもなくなったってことかな。思春期の自分と、叱ってくれた母に、さよならの準備をした。

 

 

これじゃ足りない、全然足りない。

小さい頃たくさん登ったメタセコイヤの木にもお別れの挨拶をしたいし、公園のレジみたいな石(お店ごっこをするときは、専らそれをPOSシステムとして扱った)にもさようならを、田んぼのど真ん中の月がよくみえる場所でよくお月見をしたことも忘れてはならない。

 

ふるさとの事をとても愛している…なんてことはないけれど、

それらの場所と記憶は、わたしがわたしであることに、まっすぐと繋がってるんだから。

わたしという人間を作り上げた場所たちを、わたしという人間そのものを忘れないように、さよならの準備をするのだ。

 

ばいばい私のふるさと、「刑務所みたいな町だよ」って言ってごめんね。だって治安が悪いから…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こころ

みんな、「わたし」ってどこにあると思う?

脳?心臓?それとも、お寿司とかかな(寿司が食べたい)。

「こころ」で検索をかけると、ハートや心臓の位置でそれを表したイラストがたくさん出てくる。バンドリの心ちゃんのイラストもめっちゃ出てくる。

 

でも、私は「こころ」っていうのは結局脳にあると思うわけ。

脳が認知できなかったら感情も生まれないから。

心臓が動いていても、脳が止まっていたら、「わたし」もいないと思うから。

 

歳を重ねるにつれて身体が壊れていくのは仕方ないけど、こころが終わるのは嫌だなあと思う。

 

昨年の今日、母がくも膜下出血で倒れた。

床にのたうち回り、吐瀉物を吐き散らかす母を見て、

「あ、これもう駄目だ」

と最低な事を思った事を覚えている。

しかし、そんな大変失礼な事を思っておいてなんだが、母は奇跡的に一命を取り留めた。

最低なわたしは、

え、あの感じでも人の命ってなんとか繋がるんですか?医療って凄いな・・・。と、最低なことを思った。

ドラマの出来事じゃないんだからさ。素直に喜べばいいのに。

でもそのぐらい、私にとってはショッキングな映像だったんだと思う。それこそ、ドラマの出来事だと思いたくなるような。

 

母が一命を取り留めたところで、相変わらず意識はないままだった。

少しずつ回復していく可能性はあるが、どこまで回復するかはわからないと言われた。

勿論、一切回復しない可能性もある。

わたしはこの時、「ああ、やっぱり『母』は死んでしまったんだ」と思った。

どれだけ酸素を吸い込み、二酸化炭素を排出していても

思考も感情も持っていなかったら、それはただの地球温暖化促進マシーンだ。

「きっと、良くなるよ、信じて待とう。」

父の言葉を素直に受け取れない捻くれた私が、心の中で葬儀を始めようとしたから必死になって止めた。

 

 

不思議な事に、自分が思っていた以上にするすると『母のいない日常』へと移り変わってゆくことができた。

母の手術が落ち着いた翌日には家の備品をリスト化したし、家電製品のお手入れもマスターした。この時にやっと、乾燥機のフィルターは毎回掃除しなければならない事を知った。そんなんやってらんねーしと思いながら普通の洗濯をして干したらタオルがバキバキになって、そのほとんどを雑巾に降格しそうになった。

母の事を想って夜中に一人で涙を流すような事もなく、「自分はなんて薄情な人間なんだろう」と静かに悲しくなったのを覚えている。

 

ともあれ。

驚くことに、母は持ち前のしぶとさで少しずつながらも回復に向かっていた。

まずは、目が開いた。次に、少しだけれど手が動くようになった。たまに車椅子にも乗せて貰うようになって、麻痺した身体の中でも動かせる部分を動かせるようになりつつある。

それでも私の中で母が「生きている」という実感はなかった。

理由としては、母からの意思が返ってこなかったからだ。

話しかけても、それに対して何かコメントをする訳ではないし、頷いてくれるわけでもない。

わたしたちの言葉を理解しているのか、「感情」と呼ばれるものがあるのか、それもわからない。

ほとんど面会も許されない私にとってはなおさら、母はいなくなってしまった存在のままだった。

 

 

ところがどっこい。

先日。本当に先日の事。

リハビリが順調に進み、看護師さんの手を借りながらであれば、字をかけるようになったという。

そこで父が尋ねた。

「私の名前、わかりますか?」

驚いたことに、母は、しっかりと父の名前を書いたそうだ。

「あなたの娘の名前は?」

わたしと、妹の名前もしっかり書いたらしい。

わかってるじゃん。

見てるじゃん。聞こえてるじゃん。理解してるじゃん。

私の中で、突然母が生き返った。

それと同時に、なんとも言えない気持ちが襲ってくる。

 

 

母が生きる事を直接的に選んだのは私だった。

倒れた後の数日間、何度か手術を行ったものの、母は容態悪化を繰り返し、もう助かる可能性はほとんどないと医者に告げられた。

 

そして、それでも次の手術をしますか、と私たちに選択権が委ねられた。

 

そんなもの、委ねられても困る。

 

ひとつひとつが何百万のお金が動く手術だし、奇跡的に生きながらえたとして、全身麻痺でほとんど植物状態で生きる事になるなら不幸だと考える人もいるだろう。

でも、だからって、黙って見ていろって?

 

そんな様々な考えが駆け巡ったのか、父も妹も一言も発せずに泣いていた。

唯一涙を流していなかった私が言ったのだ。

手術をしてください、と。

こうして、私がその選択権を全面的に引き受けた。とんでもない重圧だった。

手術決行を決めたのは完全に私のエゴだった。

「あのとき手術をしていたら、お母ちゃんは生きてたのかな」と父が呟く未来が見えたし、それが嫌だったから。

その時点で「もう駄目だ」モードだった私にとっては、残された家族がより後悔なく生きてゆける道を選ぶのが一番必要だと感じたのだ。

この時点で私は諦めていたのだから、本当に最低だ。

 

 

 

こういった経緯があったからこそ、今静かに回復に向かう母を見て、私は責任を感じている。

家族の名前を覚えていてかけるなんて、私たちが予想していたよりも意識があるようだ。色々、考えられるってことだ。

なのに、それを表す方法がほとんどないし、身体は動かないし。

 

生きててよかったって、思えているだろうか。

死んだ方がマシだと思っていたらどうしよう。自分だったら後者のような気がするから、なおさら胃が痛い。

 

 

 

 

こころは脳にあると思うが、私は自分のこころがわからない。

なんで涙が出ないのか。どうして、素直に「きっと大丈夫」と思えないのか。

 

何も感じていないわけじゃない、と思う。

ICUに居る意識のない母に会った時、ピー、ピー、と無機質に連続する母の心臓の音を聞きながら目眩と酸欠で立っていられなくなり、その場をすぐに後にした。

心は平気なつもりでも、身体はSOSを出しているのだと思った。

 

泣いてる父と妹を見て、「わたしが頑張らなきゃ」って思ったのだろうか。

期待して、裏切られたくないから、最初から諦めた"ふり"をするのだろうか。

どちらも合っている気がするし、どちらもはずれている気もする。

 

 

私の脳は正常に機能しているのに、私は自分のこころがわからないのだから、やっぱりこころは脳にあるわけでもないのかもしれない。

 

それじゃあこころはどこにあるの。

あの日からちょうど一年が経った今、「こころ」について考える。

こころはどこにありますか。

思いっきり泣いたら、わかるのかな。

ゥチらの不思議な国

いわずもがな知れた、日本三大テーマパークというものがあります。

 

ディズニーランド、

ユニバーサルスタジオジャパン

恵那峡ワンダーランド

 

ですね。

お恥ずかしながら私、その恵那峡ワンダーランドに行った事がなくて。

 

この度、行ってみましたとも。

きっかけは、友人と就活イベントに訪れ、ほぼ何もせず帰路についた時。

「ねえ、知ってる?」

地獄通信のような問いかけから始まった、恵那峡ワンダーランドのプレゼンテーション。

あまりにも個性的『すぎる』恵那峡の仲間達との出会いの瞬間は、忘れる事ができません。お気に入りの仲間達を中心に、当日の様子を振り返ってみましょう。

 

恵那峡ワンダーランドの魅力①:キャラクターが可愛くない

 

え?テーマパークなのにキャラクターが可愛くない?こう思いますよね。

ディズニーにも、USJにも愛しいキャラクターが居て、ディズニーなんかはそのキャラクターのためにお地蔵さんになる人がいるくらいなのに。

 愛くるしいキャラクターに翻弄される人間・・・それがゥチらな訳ですが、恵那峡ワンダーランドの愛くるしいキャラクターたちがこちら。

f:id:buhiuhoho:20210513192021j:plain 顔がケツみたな双子のわんこ。

f:id:buhiuhoho:20210513192028j:plain 威圧感の凄いリス。

f:id:buhiuhoho:20210513192037j:plain パンダと花みたいな赤ちゃん、まじこわい。

f:id:buhiuhoho:20210513192041j:plain 人間に「黙れよ」と言われた熊。

f:id:buhiuhoho:20210513192045j:plain たぶん足の遅いロボ。

f:id:buhiuhoho:20210513192049j:plain 恐竜。

 

どうですか?皆さんの中にトキメキは芽生えましたか?私は芽生えました。

この感じがね、たまらないですよね。

彼らがアイデンティティとしてる様々な部分を簡単に省いて親しみを持たせている、世間の「キャラクター」とは一線を画す。

ありのままを愛するよ私は。人も、人以外も。

 

私は姿勢良く走ってるロボが見たくて見たくてたまらんかったんですよ。言うなれば恋。グーグルマップに晒された彼を見た時から、彼の事が忘れられなくて・・・。

念願叶って彼の上に乗ることができたので私は今日から既婚です。

 

恵那峡ワンダーランドの魅力②:おばちゃんが作ってくれるソフトクリーム

恵那峡ワンダーランドには、いくつかのソフトクリーム売り場があるのですが、その酒類の豊富なこと。何種類あったか忘れたけど、10種類以上はあったんじゃないですかね。

私は歯磨き粉を愛しているので、当然チョコミントを購入しました。

売店のおばちゃんが「アイスがかたいねえ」と言いながらソフトクリームを巻き巻きしてくれます。

f:id:buhiuhoho:20210607001322j:plain

い、愛し~~~~!!!!!!!

おばちゃんがとっても固いアイスをむりやりソフトに巻いてくれた事がいやというほど伝わります。総勢5名で行ったのですが、全員のアイス(愛す)が傾いていました。

こんなに人間味を感じてこころあたたまる事ある?

完璧なソフトクリームはバエるし素敵だけれど、恵那峡ワンダーランドや人間のぬくもりを感じたいなら絶対にこちらが良い。私は人類で一番寂しがり屋なので、当然後者なわけです。

 

恵那峡ワンダーランドの魅力③:人があたたかすぎる

まじでこれ。ありえないほど過疎ってるので、入園してまず最初に思うことは

「スタッフのおじさん多っ」

です。

おそらくシニアスタッフがとても多いと思うんですけど、客の5倍ぐらいスタッフがいる。しかも客はいないので暇なおじさん達は至る所で集会を行っています。

パターゴルフの会場なのかな?

念のため申し上げておきますが、お仕事をサボっているわけではないですよ。

乗り物に近付いたら「乗る?」みたいな感じで近付いてきてくださりますし。やたら数が多く、客の数を遙かに上回った結果、井戸端会議しかする事がないだけで。

成人した男女が年甲斐もなくわいわいしているのに、

「ジェットコースターはメンテナンス中だから後で来た方が良いよ!」(聞いてない)

ですとか、

「写真はここから撮った方が上手く撮れる」

などのアドバイスをちょこちょこ挟んでくれるわけです。

あったけ~。

他にも色々。私は一日使えるフリーパスを使っていたのですが(いちいち金を払うのは面倒なのでフリーパスを推奨します)、

ジェットコースターに乗った時にまず言われたのは

「ほんじゃ、何周する?」

これ。

待っている客もいねえから無限にジェットコースターが周回できる。

なんとなく2周させてもらって、身体がバキバキになったので降りましたが

もう終わりなの?という顔をされました。

あったけ~。

極めつけは終園間際に観覧車に乗ったとき。

ふと舌を見下ろすと、なんということでしょうか。

5~6人ほどのおじさんたちが密集して、こちらに手を振ってくれている!!

こちらも大興奮ですよね。観覧車に乗ってて、下のスタッフ軍団から手を振って貰えた経験なんてありませんから。下にスタッフ軍団がいたこともないですけど。

あったけ~。

てか、そんぐらい客がいません。

 あの過疎ってる感じも好きですけど、閉園したら困るのでもう少しお客さん来て欲しい。

 

 

おわりに

こんな感じで簡単に恵那峡ワンダーランドについて語って参りましたが、いかがでしょうか。正直何も知らずに行って欲しい気持ちもあるので、かなり要点を絞りましたが、あのワンダーランドが持つ「味」の部分が少しでも伝わっていたらと思います。

 

ついでに、さらに恵那峡を楽しむためのポイントをいくつか。

・フリーパスを使用する。(前述の通り)

・ワンダーランドに行く前に「銀の森」に寄る。

・怪しげな橋があったら渡る。

以上3点を胸に、皆さんもワンダーランドに訪れて貰えたらと思います。

 

それでは、最後にこの言葉でしめましょう。

ワンダー!ワンダー!

エナワンダー!

ロフト

 

ロフトっていいよね。人が高いところにのぼっていい気分になるのは愚かだなと思います。

 

友人がジモティー経由でロフトを手に入れたので、組み立てに行ってきました。

ロフトベッドなんだから当たり前なんだけど、バカでけ~から部屋にパンパンで「バカか?」になってしまいます。

友人は仁王立ちで言いました。

「説明書はありません!」

バカ完。

 

バカは語呂がいいし、なんぼあってもいいですからね。

 

取引者の方も、説明書ないからとりあえず解体したとのこと。ジモティーは倫理観さえあれば使用okなので大丈夫です。

ネットで探したら元気なお爺ちゃんが組み立ててる動画を見つけたので愉快になれました。

その爺ちゃんの動画をたよりに、三人がかりで組み立てます。

爺ちゃん、軽々と組み立ててるけどゥチら(21)は押し潰されながらやってるょ。。。


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身体はってロフトベッドを支える友人。

服には「勇者」と書いてあります。たくましいです。

(なお、裏面にはレベル1と書いてありました)

固定されて、もうロフトが自立するのに頑張って支えてたから、そっとしておいてあげます。

 

なにはともあれ、40分ほどで完成。

元々友人の家には動物園並みにぬいぐるみが置いてあるので、それを上のベッドに置くだけでも一気に部屋がスッキリしました。素敵だ。こんなに友人宅の床が出ているのは初めてみた。

友人も、

「さいこー!引っ越しやめるー!」

とご満悦。

そしてやっぱり、

「見上げるだけの愚民よ……………」

言い始めたでこれ。

人間は愚か。