さようならの準備
就職で東京のあたりに行くことが決まった。
就職活動はかなり手広い業種を見てやっていたと思うが、故に地域で絞るしかなく、地元である愛知県の企業を受けていた。
ある日、ひょんな出来事から「一個ぐらい東京受けてみるか~」と思って適当に応募したところ。
まさかのそこに入社することに。
どの企業に対してもそうだけれど、応募するときはあまり何も考えずに応募していたため、内定を頂くにつれて面接中企業と比較していく形式を取っていた。比較検討の結果、メチャクチャ良い企業がそこだったのである。
まあ、就職活動についてはまた別で記事書いてみたいなと思ったり。
ともあれ。自分の中で東京に行く選択肢なんか全然思い描いていなくて、駄々こねる父親を諫めつつ、不安な気持ちを握りしめて内定の承諾をした。
これもこれでご縁ってやつだ。キショい場所だったら辞めればいいし、気に入ればそこに落ち着けば良い。
私はきっと将来、友達が開いた喫茶店で、夜にビアバーをやっていると思うからね。
愛知という場所を、自宅という場所を離れるにあたって、さよならの準備をしなければならない。
部屋にある大量の年期入りのゴミを断捨離することもそうだし、友達に借りっぱなしのCD(もしかしたら、もらったのかもしれない)も返したい。あのこが置いていった折り畳み傘も返しに行ってあげよう。
それ以上にやらなければいけないのは、思い出たちとのさよならの準備だ。
大好きな喫茶店。自転車で昔何度も行った喫茶店に行った。庭が森のような、素敵な喫茶店で、フルーツサンドのモーニングをいつも一人で食べて本を読んでいた。喫茶店の帰り道には橋があって、その下を真っ赤な電車が通る。その様子をぼーっと眺めていた、あの頃の自分にさよならの準備をした。
車ですこし足を伸ばして、すこし大きいスーパー銭湯へ。今時人気の、漫画がたくさん置いてあるようなところではないけれど、岩盤浴もあって、なにより豊富な種類の露天風呂が大好きだ。高校生の頃、数学の授業がない日を狙って学校をサボっていた。うちの母はその辺り優しかったため、特に咎める事はなかった。その代わり、布団に潜り続ける私を引きずり出し、この銭湯に連れていってくれた。母と他愛ない話をしながらぐでぐでになるまで大きな風呂に入ると、忙しい毎日に疲弊していた心がじんわりと溶けていく。さっぱりとした心でうどんを啜り、次の日にはまた元気に学校へ行く自分とそれを見守る母に、さよならの準備をした。
家の前の川の、土手にある階段も訪れた。両親と喧嘩をした時や、病んでいた時はいつもそこで座って星空を見上げていた。そこでうずくまったってどうにかなるわけでもない、それでもオリオン座を見つめながらただただそこにいた。最近はもう行くことはないな。親と喧嘩をして家にいたくない、なんてことがなくなったから。悪く言えば、反論をすることもなくなったってことかな。思春期の自分と、叱ってくれた母に、さよならの準備をした。
これじゃ足りない、全然足りない。
小さい頃たくさん登ったメタセコイヤの木にもお別れの挨拶をしたいし、公園のレジみたいな石(お店ごっこをするときは、専らそれをPOSシステムとして扱った)にもさようならを、田んぼのど真ん中の月がよくみえる場所でよくお月見をしたことも忘れてはならない。
ふるさとの事をとても愛している…なんてことはないけれど、
それらの場所と記憶は、わたしがわたしであることに、まっすぐと繋がってるんだから。
わたしという人間を作り上げた場所たちを、わたしという人間そのものを忘れないように、さよならの準備をするのだ。
ばいばい私のふるさと、「刑務所みたいな町だよ」って言ってごめんね。だって治安が悪いから…。